労基署への申告件数増加が示すもの ― コンプライアンスの先にある「人権尊重」という視点(2026/6/8)
令和6年の労働基準監督署への申告件数は2万5116件となり、平成29年以来7年ぶりに2万5000件を超えた。
もっとも、この数字だけを見ると急激な増加のようにも見えるが、平成27年には2万6280件の申告があり、全体としては約10年前の水準に戻ったともいえる。
本稿は、労働新聞社の髙橋峰登記者による労働基準監督署への申告件数増加に関する記事を拝読し、考えたことをまとめたものである。
記事では、申告件数が増加傾向にあることに加え、申告内容にも変化が見られることが紹介されている。
特に注目されたのが、「その他」に分類される申告の増加である。
賃金不払いや解雇、労働時間といった典型的な労働基準法違反だけでなく、それ以外の理由による申告が増加していることが示されている。
背景には、高校などでの労働法教育の普及や、転職市場の活性化による労働者の権利意識の向上があるのかもしれない。
また、厚生労働省は令和8年度から、労働基準関係法令違反を構成しないことが明白な場合を除き、原則としてすべての申告を受理する方針を示している。
今後は、労働者の声がこれまで以上に行政へ届きやすくなることが予想される。
髙橋記者は記事の中で、こうした状況を踏まえ、企業に対して就業規則などの再点検を呼びかけている。
私はこの指摘を非常に重要なものだと考えている。
なぜなら、申告は単なる苦情ではないからである。
申告を受けた場合、労働基準監督署は多くのケースで臨検監督を実施している。そして申告監督では約7割の事業場で何らかの法令違反が確認されているという。
もちろん、すべてが重大な違反ではない。しかし、重大または悪質な事案については送検に至る可能性もある。
その意味では、就業規則や労務管理体制を定期的に点検し、自社の法令遵守状況を確認することは、企業経営において極めて重要である。
一方で、私は今回の記事を読みながら、「その他」の申告が増加しているという事実に強い関心を持った。
これは単に法違反の件数が増えたという話ではなく、労働者が職場に対して抱く期待や価値観が変化していることの表れではないだろうか。
法律上は問題がなくても、
「十分な説明がなかった」
「公平に扱われていないと感じた」
「相談しづらい職場だった」
こうした不満や違和感は、働く人にとって大きなストレスとなる。
そして、その声を職場内で受け止めることができなければ、申告や退職、あるいはSNSでの発信といった形で表面化する可能性がある。
ここで重要になるのが、ビジネスと人権(BHR)の視点である。
BHRが求めているのは、単に法律違反をなくすことではない。
人への負の影響を早い段階で把握し、対話を通じて改善していくことである。
もちろん、コンプライアンスは企業経営の土台であり、欠かすことのできないものである。
しかし、今回の統計から見えてくるのは、「法令違反がなければ十分」という時代から、「働く人がどのように感じているか」にも目を向ける時代への変化ではないだろうか。
労働基準監督署への申告件数が約10年前の水準に戻り、行政も原則としてすべての申告を受理する方針を示している今、企業にはこれまで以上に丁寧な労務管理が求められている。
そしてその先には、働く人との対話を重視し、人権を尊重する職場づくりという新たな課題がある。
コンプライアンスと人権尊重は対立するものではない。
むしろ、人権尊重はコンプライアンスを土台として、その先に積み上げられるものではないだろうか。
今回の髙橋記者の記事は、そのことを改めて考える良い機会を与えてくれたように思う。
「ビジネスと人権に取り組むBHR推進社労士の魅力」で整理しています。
・人権調査票やサプライチェーン調査への実務対応については、
「人権デューデリジェンスとは?中小企業が対応すべき調査票と外国人雇用リスク」で整理しています。
