労災の虚偽報告はなぜ起きたのか――元請企業の安全管理をBHR・人権DDの視点から考える(2026/9/9)
「なぜ真実を話せなかったのか」――労災の虚偽報告をBHRの視点から考える
福岡中央労働基準監督署は、2件の労働災害について虚偽の労働者死傷病報告を行ったとして、福岡県筑紫野市の鉄筋組立圧接工事業者と、その代表取締役および工事本部長を、労働安全衛生法第100条違反の疑いで福岡地方検察庁に書類送検しました。
1件目の労災では、トラックの荷台から落ちてきた約4キログラムの圧接機に労働者が足を挟まれ、約30日の休業を要するケガを負いました。
2件目では、足場上で作業していた労働者の左足が作業床の隙間に入り込み、挫傷などを負い、約10日の休業が見込まれていました。
いずれも別の建設現場で発生した労災でしたが、会社は労働者死傷病報告において、発生場所を「自社敷地内」と偽って報告していました。
労働基準監督署は、虚偽報告に至った理由について、「元請が日頃から安全活動に積極的で、労災発生を報告するのをためらった」とみています。
虚偽報告は、当然許されない
労働災害の発生場所を偽り、虚偽の労働者死傷病報告を提出することは、当然許されるものではありません。
労災が発生した場合には、事実を正しく報告し、その原因を明らかにしたうえで、再発防止につなげなければなりません。
虚偽とはいえ、報告書そのものを提出していただけ、まったく報告しないよりはまだマシだったと見る余地はあるかもしれません。しかし、虚偽報告である以上、重大な問題であることに変わりはありません。
ただし、この事件を「下請企業が嘘の報告をした」というだけで終わらせてよいのでしょうか。
BHR(ビジネスと人権)の視点から見ると、別の問題も浮かび上がってきます。
元請企業の安全活動は、どのように伝わっていたのか
元請企業が安全対策に積極的に取り組むこと自体は、評価されるべきことです。
しかし、その取組が下請企業にとって、
「労災を起こしたとは言えない」
「正直に報告すれば、元請から厳しく責められるかもしれない」
「今後の取引に影響するかもしれない」
と感じさせるような圧力になっていたとすれば、話は別です。
実際に元請企業が圧力をかけていたのか、下請企業側が一方的に忖度したのか、あるいは安全方針の伝え方や説明が不十分だったのかは、この記事だけでは分かりません。
それでも、元請企業の日頃の安全活動が、結果として下請企業に労災報告をためらわせた可能性が指摘されている以上、元請企業側も自らの安全管理のあり方を検証する必要があると思います。
負の影響を防ぐ取組が、負の影響を隠していなかったか
人権デュー・ディリジェンスは、企業活動やサプライチェーン上で生じる人権への負の影響を特定し、防止・軽減していく取組です。
労働者の生命や身体に関わる労働災害は、企業が優先して把握すべき重大な負の影響です。
ところが、労働者を守るための安全活動が、運用の仕方によっては、下請企業に負の影響を隠させる方向に働くことがあります。
労災を減らすことと、労災がなかったことにすることは、まったく違います。
元請企業が掲げる「労災ゼロ」が、下請企業にとって「労災を報告できない」という圧力になっていたとすれば、安全活動は本来の目的から外れてしまっています。
元請企業は、何のために安全対策を強化していたのでしょうか。
自社の労災件数を減らし、評価やレピュテーションを守ることが目的になってはいなかったでしょうか。
本来、最も大切にすべきなのは、下請・孫請企業を含め、その現場で働くすべての人の生命と安全であるはずです。
グリーバンス・メカニズムは機能していたのか
この事件では、元請企業のグリーバンス・メカニズム、すなわち相談・苦情処理の仕組みがどうなっていたのかも気になります。
下請・孫請企業の労働者や管理者が、元請企業に対して安心して労災を報告できる仕組みはあったのでしょうか。
制度が用意されていたとしても、
誰が利用できるのか
どこへ相談すればよいのか
相談内容の秘密は守られるのか
報告したことによって不利益を受けないか
実際に問題の改善につながるのか
といった点について、現場から信頼されていなければ機能しません。
重要なのは、相談窓口が存在することではなく、下請企業や労働者が「真実を話しても大丈夫だ」と思えることです。
下請企業を責めるだけで終わってはならない
もちろん、虚偽報告を行った下請企業の責任がなくなるわけではありません。
しかし、元請企業は下請企業を責めるだけで終わってはならないと思います。
元請企業が考えるべきなのは、次のような問いです。
「なぜ、下請企業は真実を話せなかったのか」
「私たちの安全活動は、現場にどのようなメッセージとして伝わっていたのか」
「労災を報告した企業が、不利益を受けるような運用になっていなかったか」
「下請・孫請企業の労働者の声を、直接把握する仕組みはあったか」
「安全対策の目的が、労働者を守ることから労災件数を減らすことへ、いつの間にかすり替わっていなかったか」
これらを下請企業との対話を通じて真剣に検証し、安全管理のあり方を見直すことが必要です。
それが、サプライチェーンに大きな影響力を持つ元請企業に対して、社会から期待されていることではないでしょうか。
安全対策は、労災を「起こしてはならない」と圧力をかけるためのものではありません。
発生した事実を正直に共有し、その原因を学び、同じ事故を繰り返さないためのものです。
この事件は、安全管理に熱心であることと、現場が安心して真実を話せることは、必ずしも同じではないという難しさを示しています。
すべては限られた報道からの推測にすぎません。
それでも、元請企業には「誰が虚偽報告をしたのか」だけではなく、「なぜ真実を話せなかったのか」を真剣に考えてほしいと思います。
人権デュー・ディリジェンスを考えるうえで見過ごすことのできない事例です。
