熱中症対策の費用は誰が負担すべきか?CSDDDから考える猛暑時代の人権コスト(2026/7/7)
熱中症対策の費用は誰が負担すべきか?CSDDDから考える猛暑時代の人権コスト
2026年7月7日、NHK「クローズアップ現代」で、猛暑の中で働く人たちの熱中症問題が取り上げられていた。
猛暑の中で働く人たちを、どう守るのか。
番組では、単に「水分を取りましょう」「休憩を増やしましょう」という個人の対策にとどまらず、より根本的な問題が提起されていた。
猛暑によって作業時間を短縮すれば、日給や時給で働く人たちの収入が減少する。
危険だから作業を中止する。
それは、生命を守るために必要なことである。
しかし、働くことができなければ収入が減る人もいる。
工期を延長するだけでは、労働者の生活まで守ることはできない。
また、熱中症対策には費用がかかる。
冷却設備。
空調服。
休憩場所。
飲料水。
交代要員。
作業時間の短縮。
猛暑による生産性の低下。
こうした費用を、現場の事業者だけが負担し続けることにも限界がある。
番組では、海外における猛暑時の所得保障の仕組みや、「夏場料金」という考え方も紹介されていた。
私は、この問題提起に強く共感した。
そして、これはまさにBHR(ビジネスと人権)の問題ではないかと思った。
「働いている人に思いを寄せる」
番組に出演した産業医科大学の教授は、ILOの考え方について、働いている人に思いを寄せることが大切である、という趣旨の話をされていた。
※ここで紹介している言葉は、放送内容の逐語的な引用ではなく、私が番組を視聴して受け取った趣旨を記したものである。
私は、この言葉が強く印象に残った。
なぜなら、これはBHRの出発点そのものだと思うからである。
人権デューデリジェンスというと、難しい制度やチェックリスト、調査票を思い浮かべる人も多いかもしれない。
しかし、その出発点はもっと人間的なものではないだろうか。
その仕事の先に、誰がいるのか。
その人は、どのような環境で働いているのか。
その人は、安全に働くことができているのか。
そして、私たちの発注や価格、納期、契約条件が、その人を苦しめていないか。
働いている人に思いを寄せる。
その人の声を聞く。
そこから、人権への負の影響を見つけ、防止し、軽減していく。
私は、それがBHRの基本だと思う。
安全で健康的な労働環境は「人権」である
ILOは2022年、「安全で健康的な労働環境」を、労働における基本的原則及び権利に位置づけた。
つまり、安全な職場は、単なる福利厚生ではない。
企業の善意でもない。
働く人の基本的な権利である。
そう考えれば、熱中症対策も単なる安全衛生対策では終わらない。
猛暑の中で働く人の生命と健康を守る。
これは、人権を守る取組である。
しかし、ここで避けて通れない問題がある。
人権を守るためには、費用がかかる。
私は、この現実の費用を、ここでは「人権コスト」と呼びたい。
もちろん、人権に値段を付けるという意味ではない。
人権を守るために必要な費用は、現実に存在するという意味である。
問題は、その費用を誰が負担するのかである。
「熱中症対策を徹底せよ」だけでよいのか
例えば、発注元が受注企業に対して、
「熱中症対策を徹底してください」
と求める。
その要求自体は正しい。
しかし同時に、
価格は変えない。
納期も変えない。
工期も変えない。
必要な作業量も変えない。
追加費用も負担しない。
これでは、現場に何を求めていることになるのだろうか。
安全を守れ。
しかし、その費用は自分で負担せよ。
危険なら休め。
しかし、工期は守れ。
作業時間を短縮せよ。
しかし、価格は変えない。
これでは、人権を守るために必要な費用が、取引関係の中で、より負担を引き受けにくい立場の事業者へと押し付けられていく可能性がある。
最後にその負担を引き受けるのは、資金力の乏しい中小企業や個人事業主、そして現場で働く人たちではないだろうか。
安い価格は、本当に安いのか
例えば、ある仕事が安い価格で発注されたとする。
発注元にとっては、コストを削減できる。
クライアントにとっては、安い価格で商品やサービスを購入できる。
しかし、その価格の中に、十分な熱中症対策費用は含まれているだろうか。
空調服の費用は。
冷却設備の費用は。
交代要員の人件費は。
休憩時間を増やすための費用は。
猛暑による生産性低下の費用は。
作業中止による労働者の所得保障は。
これらが価格に含まれていないとすれば、その仕事は本当に「安い」のだろうか。
単に、必要な費用を誰かが負担しているだけではないだろうか。
安い価格とは、コストが消えた状態ではない。
コストが、見えない場所へ移された状態なのかもしれない。
そして、その最終的な負担者が、取引関係の中で最も弱い立場にある人たちだとすれば、これはBHRの問題である。
工期を延長するだけでは、労働者を守れない
猛暑で作業ができないのであれば、工期を延長する。
それは必要な対応である。
しかし、それだけで十分だろうか。
日給で働く人。
時給で働く人。
出来高によって収入が変わる人。
作業できない日が増えれば、収入が減る人たちがいる。
「危険だから今日は働かないでください」
と言われた結果、生活が苦しくなるのであれば、労働者はどうするだろうか。
無理をしてでも働こうとするかもしれない。
つまり、
安全な行動を選択するためには、生活の保障が必要である。
働いている人に思いを寄せる。
そうであるならば、熱中症にならないように休ませるところで終わってはいけない。
休んだ後、その人の生活はどうなるのか。
さらに、その先まで考える必要がある。
「夏場料金」は、人権を守るための価格ではないか
番組で紹介された「夏場料金」という考え方は、私は非常に興味深いと思う。
猛暑期の仕事には、通常期とは異なるコストが発生する。
それならば、価格も通常期と同じである必要はない。
例えば、一定の時期について発注価格に夏季加算を設ける。
あるいは、WBGTなどの客観的な基準を超えた日について、暑熱環境安全衛生加算を行う。
その費用を、
冷却設備、
空調服、
休憩場所、
飲料水、
交代要員、
作業時間の短縮、
そして必要に応じた所得保障に使う。
建設業には建設業の方法があるだろう。
警備業には警備業の方法がある。
物流、農業、製造業にも、それぞれの働き方に応じた方法がある。
業界全体で基金や共済制度を作る方法も考えられる。
発注元が一定の費用を負担する方法もある。
クライアントが負担する方法もある。
必要であれば、最終的な商品やサービスの価格に反映する方法もある。
一つの方法に決める必要はない。
重要なのは、
誰か一人に負担させないことである。
発注元も、クライアントも無関係ではない
私は、熱中症対策のすべての費用を、発注元だけが負担すべきだと言いたいのではない。
現場企業にも責任がある。
元請企業にも責任がある。
行政にも役割がある。
業界団体にもできることがある。
そして、クライアントや消費者も無関係ではない。
安い商品。
安いサービス。
短い納期。
便利な配送。
予定どおりに完成する建物。
私たちは、その恩恵を受けている。
その裏側で、誰かが猛暑の中で働いている。
そうであるならば、安全に働くための費用を、取引全体、さらには社会全体で負担することも必要ではないだろうか。
働いている人に思いを寄せ、その先を見る
熱中症が発生した後、
誰の責任だったのか。
安全管理に問題はなかったのか。
法令違反はなかったのか。
もちろん、それを検証することは必要である。
しかし、BHRが求めているのは、事故が起きた後に責任者を探すことだけではない。
事故が起きる前に、
どこにリスクがあるのか。
誰がそのリスクを負担しているのか。
なぜ改善できないのか。
改善に必要な費用は誰が負担するのか。
それを、実際に働いている人の声を聞きながら考える。
猛暑は、これからも続く可能性が高い。
毎年、
「今年も暑かった」
「熱中症に注意しましょう」
と繰り返すだけでは、何も変わらない。
必要なのは、猛暑を前提とした新しい取引の仕組みである。
価格を変える。
工期を変える。
働き方を変える。
所得保障を考える。
そして、費用負担を変える。
安全で健康的な労働環境は、人権である。
その人権を守るための費用を、取引の中で最も弱い場所に押し付けてはならない。
2026年7月7日の「クローズアップ現代」で語られていた問題は、決して一部の現場だけの問題ではない。
私は、これをBHRの問題として考えたい。
働いている人に思いを寄せる。
その人が置かれている状況を見る。
その声を聞く。
そして、その人を苦しめている原因が、価格や納期や発注条件にあるのであれば、そこまで変えていく。
それが、人権デューデリジェンスであり、猛暑時代に求められるBHRの実装ではないだろうか。
※CSDDD(企業持続可能性デューデリジェンス指令)とは
CSDDD(Corporate Sustainability Due Diligence Directive)は、EUの「企業持続可能性デューデリジェンス指令」である。
名前は難しいが、その基本的な考え方は決して難しいものではない。
対象となる企業は、自社の中だけを見ていればよいのではない。
自社の事業活動だけでなく、子会社や一定の取引関係を含む事業活動の連鎖において、人権や環境への負の影響が生じていないかを確認する。
問題を特定した場合には、その負の影響を防止・軽減し、必要な対応を行う。
これが基本的な考え方である。
そして重要なのは、
「取引先に人権を守ってくださいと要求すれば終わり」ではない
ということである。
人権への負の影響を防止・軽減するためには、自社の事業活動や取引のあり方が、その問題を引き起こしたり、悪化させたりしていないかを見る必要がある。
例えば、取引先に安全な労働環境の確保を求めながら、そのために必要な費用を確保できない価格で発注していないか。
無理な納期や工期を求めていないか。
改善を求める一方で、その改善を可能にするために必要な支援を行っているか。
本記事では、このCSDDDの考え方を、猛暑時代の熱中症対策に重ねて考えている。
熱中症対策を現場企業だけの責任とするのではなく、発注価格、工期、契約条件、費用負担のあり方まで含めて考える。
そして、働く人の安全と健康を守るために必要な費用を、取引関係の中で最も負担を引き受けにくい事業者や労働者だけに押し付けない。
それが、この記事で考えたい「猛暑時代のBHR」である。
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